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オイリュトミーレッスン【オンライン、対面】随時受付中

¥15,000

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オイリュトミーの基礎の基礎

ひとりでもできるオイリュトミー。

回を重ねるごとに、内なる力が呼び覚まされるでしょう。

意識と身体をつなぐことは、神聖な瞬間です。

それは、見えない生命の力です。

⭐︎要お問い合わせ。

 

⭐︎オンラインZoom、又は対面(別途会場費)

 

⭐︎受講料(マンツーマン)人数により減額されます。

一回15,000円

 

 

 

オイリュトミー 一回90分 随時受付

オイリュトミーとは、言葉と音楽を、動きを通してその本質を感じクリエイトする踊りで運動芸術です。
1912年に、クロアチア生まれのルドルフ・シュタイナーにより創始されました。
シュタイナーは、人智学を体系化し、人間の本質をスピリチュアルな観点で解き明かしています。
その思想は、多岐に反映されています。
シュタイナー教育の一環であるヴァルドルフスクールは、世界中に800校を超えています。
教育、芸術、治療の分野では、様々なアプローチで、有機的な成長を遂げています。
オイリュトミーは、人間の身体を、一人一人の個である魂が宿る聖なる神殿として捉えています。
身体そのものが、ミクロコスモス(小宇宙)として、マクロコスモス(大宇宙)と照応されていることを、オイリュトミーの動きを通して感得します。
人間が、自らの身体を感じ入り、言葉や音楽の本質とひとつになるとき、ハイヤーセルフと呼ばれる、高次の自我に変容していきます。

これは、絵画が、素材である絵具の素材を進化させるように、
生命を宿している身体そのものに、意識の力で働きかける行為であります。
これにより、「玄体」としての霊化された身体が生まれると言われています。
私はこれを、創造の源のエネルギーである「無条件の愛」のエネルギーにアクセスし、「生楽舞」(セラヴィ)という舞を創始しました。

 

基本的に週一のリズムが効果的です。まずお試しくださいませ。曜日時間帯はご相談くださいませ。一人以上で開催します。

 

 

https://rainbowduowork.hatenablog.com/entry/2020/08/22/オイリュトミーで光の体を創りましょう!?_ga=2.60331112.451881377.1598027725-2022751125.1558526650

 

★楽々ララ(旧名Nari)
東京出身
絵画を、吉野廣行に、オイリュトミーを、笠井叡に師事する。2002年「天使館」卒業。
主な公演(主演、演出、振付)
オイリュトミールイズ公演 ’02『天使の悲歌』「バッハ作曲 シャコンヌ」,’03『宮澤賢治へのオマージュ』,’04『薔薇の杯』,’05『ロザリオ』世界で初めて、古楽器によるオイリュトミーを手がけた。バロック音楽で難解なビーバーの「ロザリオ ソナタ」で、桐山建志(バロック ヴァイオリン)と共演した。
武久源造(チェンバロ、フォルテピアノ)とのユニット、ムジカ・ムンダーナ公演’08 『ムジカ・ムンダーナのバッハ』「バッハ作曲 フランス風序曲」,麦人(朗唱)「亡き子のために」他, 韓国公演 ’09『和-空華』「韓国語の詩」,「バッハ作曲 パルティータ6番」他,’12 ニュージーランド 『ワイタハ』マオリ語で「初めに言葉ありき』,武久源造と仲間たち『九次源コンサート』「武久作曲 萬葉集」出演,じゃがいも村公演『武久源造の音楽とオイリュトミー・生楽舞』「バッハ作曲 ゴールドベルグ変奏曲」,ドイツ シュタイナー治療学校で舞台コンサート、アイスランド『Fresh Winds』参加,『新・バロックの実演』「画家 カルバッジオへのオマージュ』,’15〜’16『武久源造のバッハと舞』Vol.1〜7でパルティータ全曲を舞う。
2019/11/1 旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財) 武久源造「適正律クラヴィーア曲集全曲CD完成記念リサイタル」《Bach Cosmos》で超難解な曲である「1-24番ロ短調」を武久の演奏で舞う。

生楽舞は、フランス語のC’est la vie、“いのちの舞”として、武久源造が名付ける。

芸術活動以外に、Nariとしてヒーリング活動を独自に展開している。
THInK Certificate of Science® 認定。
オリジナル 総合的インナーチャイルドワークである、レインボーDUOワーク®を創始開発。
多次元的なヒーリングセッションにより、ネガティヴなエネルギーの変容を起こしている。

★故、清水 茂 氏(フランス文学者、詩人、早稲田大学名誉教授) 批評

緩やかな動きが風のように渦巻きながら上昇し、頂点に達すると、絶対の沈黙が一瞬支配し、つぎにはそこから光が降り注いでくる。上下と左右との交互の移行、ときに激しく、また緩やかに、あたかも舞踏のような、――そんな音楽空間をビーバーのヴァイオリン曲は展開してみせる。作品の主題が仄めかす『聖書』による解題は措くとして、これは何を語っているのか、何を示しているのか。こう自問するとき、論理的、概念的思考によっては理解できないままに、それでも感性は問いかけに呼応する。

たぶん外的な諸々の事象に対応する思惟や個別の感覚を超えて、その奥にある、謂わば内面の扉のようなものがそのとき開かれるからだ。何処にむかってか。おそらく、宇宙の根元であるところにむかって。そして、宇宙のリズムであるものが、開かれたこの扉を通って、私たちの内部に浸透し、なお個別のものである私たちの存在をその様態のままに保ちながらも、すでにすべてであるものと融合させる。これは真にすぐれた芸術表現の特質ともいうべきものだ。いつからか、私たち人間がこの宇宙には私たちだけしか存在しないかのように振る舞うまでになったその尊大さが、この瞬間にうち砕かれて飛散する。そして、私たちは他ならぬ大きな宇宙の一部分であることを、もう一度改めて確認することになるのだ。それもみごとに洗練されたフォルムに触れることのよろこびをもって。音楽、ことば、そして身体表現。私はかつて観たNari によるオイリュトミーの舞台を想い起こしているのだ。

すべてが一体化しての、動き。その動きは、また、ときとして、幻想の鳥の飛翔、または自然の風の身振りともみえる。重力の掟から解き放たれた軽やかさだ。またしても、この舞台に接することができると思うと、この重い、好ましからぬ時代にあってはきわめて稀なよろこびの機会の訪れが待ち遠しい。

( 2005年 オイリュトミールイズ公演『ロザリオ』によせて)

 

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1回券, 6 x 回数券